「神隠し」第3章

 自分がいなくなったら、心配してくれる人はいるのだろうか。はじめは憶えていても、きっと忘れられてしまうのだろう。
 それだけは嫌だ。
 消え去ってしまうこと自体は怖くない。だが、自分が忘れられてしまうのが何よりも怖い。はじめから存在していなかったのと同じことになってしまうから。
 俺は日記をつけることにした。もしも自分が神隠しにあったとしても、そのときに何か、自分がいたことを示すものを残しておきたかった。
 何故だろう、俺はこの時、自分が消え去ってしまうものだと思い込んでいた。
 次の日、ついに神隠しの記事が一面を飾ることになった。
 千人に1人という気違いじみた数字をみても、それは誇張どころかかえって少なすぎるという印象を与えた。
 どんな伝染病よりも早く、そして突然に訪れる消滅。なるべく不安を与えないように記事は書かれていたが、それがかえって恐怖を誘う。

『やがて誰もいなくなってしまうのではないか。』

 見えない文字でそう書いてある。
 狂気が世界をむしばみ始める。

 講習の最終日は、ほとんど授業にならなかった。生徒のみならず先生までもが、事態に恐怖を抱いていた。騒ぐ生徒たちを鎮めようとしても、自分が動揺していてはそれもかなうはずのないことだった。
 「学校にきていれば、まだたくさん人がいるから安心できるんだよ。」
 「単身赴任している親父に電話をかけても、さっぱり通じないんだ。」
 「講習中は静かにしなさい。」
 「でも、1人いなくなるたびに怖くなるから学校に来たくないって、誰か言ってたぜ。」
 「兄貴がバイトをさぼって帰省してきたんだ。 アパートに1人でいると不安なんだってさ。 」
 「三石も椎名も、戻ってこないのかなあ。」
 「神隠しじゃないかも知れないじゃないか。予備校にでも行っているだけかも知れないだろ。」
 「でも、三石はもうすぐ2週間だろ。」
 「でもさ、椎名がいなくなったら俺世界史トップになれるかも知れないな。」
 「おまえクラスメイトのこと心配じゃないのかよ、自分のことばっかり考えやがって。」
 「大学に入るにはみんなライバルじゃないか。減るんなら得するじゃん。」
 「頼むから静かにしてくれ。私も家にいる妻と子が心配なんだ。」
 もう、誰にも止めることはできなかった。

 講習も終わってしまったので、今日から1人きりになってしまう。校則でバイトが禁止されていなければ働こうかとも思ったが、万一見つかれば大変なことになるからそれはできなかった。
 でも、家でじっとしているのは嫌だ。
 目的もなく、ただ町中をぶらつく。やはり1人でいるのが嫌だという人が多いのか、平日なのに人通りが日曜日なみにある。
 何日かはそうして過ごしたが、足は痛くなるし、外食では金もすぐになくなってしまい、家でテレビを見て過ごすようになった。
 ワイドショーなどではこの事件をかなり大きく取り扱っていたが、役立つ情報は何一つなかった。

世界が狂い始める。

 マスコミは神隠しについては、一切無視することに決めたようだった。今までの報道が嘘のようにピタリと止んでしまい、それはかえって不気味だった。情報が入ってこない分、不安が高まっていく。
 新聞、雑誌は急速にぺージ数を減じていく。町を歩く人の数は日に日に減っていく。周囲の人間が1人ずつ、あるいは何人かいなくなってしまう。
 マスコミが沈黙していても、誰も何も言わなくても、自分の周りのあらゆる状況が、事態は悪化し続けていると教えてくれる。
 買物に出かけるときにシャッターが閉まったままの店を見るたびに、重い空気がのしかかってくるような感覚を覚える。帰り道にどこかの家の塀にスプレーで大きく『助けて、消えたくない』と書いてあるのを見ると、大声で叫び出したい気分になってしまう。
 父が毎晩のごとく酔って帰ってくるようになった。嫌なことを忘れるために自身を痛めつけている様を見ると悲しくなる。
 「父さん、食事は当番制にするんじゃなかったの?」
 「そうだったか、母さん。」
 「母さんじゃないよ、俺だよ。」
 父の重い体を引きずり、ベッドに乗せる。
 父は次の朝には痛む胃を押さえながら謝るが、帰ってくるときには再びしこたま飲んでくる。苦しむと分かっていてどうしてそんなことをするのか、気が知れない。飲んで帰ってくるときに俺のことを必ず母と勘違いするのも許せなかった。呼ぶ言葉が口をついて出るたびに、いなくなってしまったままの母を思い出してしまう。
 いますぐこの場から消え去って、狂気から逃れたい。こんな状態が続いたら、俺まで気が狂ってしまいそうだった。


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